レオが3歳の夏、主人が仕事中に左眼を怪我して、外傷性網膜剥離になりました。
手術をしてもなかなか元に戻らず3回の手術で、約2ヶ月入院生活を送らなければいけませんでした。
その間、バタバタして余りレオに構ってあげれず、寂しい思いをさせました。主人も入院生活の間「レオに会いたい」と毎日のように嘆いていました。
3回の手術で網膜剥離は落ち着きましたが、左眼の視力は失ってしまいました。
退院をして自宅療養をする事になり、入院中は網膜剥離が治る事だけを考えていた主人でしたが、実際に生活をしてみると突然片目だけしか見えなくなり失望していた事でしょう。
昼間、家族が仕事で居ない自宅で1人きり、主人は突然自分に降りかかった出来事をどう受け止めるかと、将来への不安と戦いながら過ごしていたのだろうと思います。
そんな毎日にレオという存在は大きくて、私達家族に言えない気持ちを、レオには話せたのかもしれません。
それを聞いてどのような表情をしたのでしょう。きっとレオの大きな眼が「大丈夫だよ!僕がいつも傍に居るから」と言ったのでしょうか
「あの時、レオがいたから救われたのだ」と主人は、今でも口にします。言葉は話せないレオですが、人の感情はよくわかっていて、笑うと興奮して喜び泣くとそっと傍に来て、顔を覗き込みます。
昼寝をしていても、レオは頭の中で主人の行動をしっかり観察していました。昼食の時や、冷蔵庫を開けると寝てたはずのレオが、いつの間にか隣に来て「何かちょうだいと」大きな舌をハッ!ハッ!と出していました。(笑)
主人は、「3歳の1番良い時期を自分の怪我のせいで何もしてあげられなかった」と悔やみますが、私はいつも昼間は1人(1匹)で留守番して、退屈だった毎日に大好きな主人が居てくれただけで、レオは嬉しかったと思います。
人の心の痛みは、他人にはわかりません大病をしている方々から見たら、主人の怪我は大した事ではないかもしれません。
でもやはり大小はあってもその人にとっては大きな問題なのです。将来に絶望して、生きていくのさえ辛くなる時はあるものです。そんな主人の心に寄り添い、''生きていく力''にレオはなってくれました。
レオが、生きてる時は当たり前で気づきもしなかったのですが、亡くしてしまった現在、レオの大きさにありがとうと思います。