今まで、自分の感情とは別なところで、ただ時間だけが流れていた感じだったが、この頃はいろんな感情が行き来して、お腹が空いた感覚やテレビを観て笑う事など、だんだん出来るようになってきた。
相変わらず1日に何度か泣いてしまうが、前に比べて、回数もだいぶん減ってきた。レオが、逝ってしまった場面を思い出すと、看取ってやれなかったとひたすら悔み、散歩に行けばレオ姿を思い出しこの場所は気に入って良く来たなと涙ぐむ、レオに無性に逢いたいと願い、時には逢えるなら自らの命を捨てても構わないのではとさえ考えてしまう。その反面、いつまでも悲しんでるとレオが辛いだろうから、頑張って生きて行くのだと複雑に感情が絡み合う
「どうして、レオは死んでしまったのだろう本当に死んでしまったのだろうか天寿をまっとうしたのだろうか」
レオは超大型犬だったから寝たきりになったら、想像以上に介護は大変だったと思う。老犬になって、脚が悪くなった頃から自分の中ではそんな覚悟も、十二分に出来ていた。
親孝行だっただろう、最期の最後まで自分の脚で歩いて散歩に行き、大きな病気もせず病院代も余りかからなかった。何一つ迷惑を掛けずに、あっという間にあの世へ逝ってしまった。神様が与えた寿命で、生まれた時から決まっていた年月なのだろうがもう少し迷惑を掛けてくれても良かった。私達に別れる覚悟を与えてほしかった。 写真に向かって「どうして、どうして」と問いかけるが、返事は返ってこない。
こんなにも大切な存在で、忘れる事の出来ない相手で、そばに居てくれるだけでただそれだけで十分だった。レオに出逢えて、本当に良かったよ一緒に過ごした時間は最高の宝物だよ